■読んではいけない人物伝 森啓成 (もりよしなり)
山崎眞行 - 原宿ストリート・カルチャーの生みの親、ピンクドラゴン創業者、伝説のロカビリーバンド「ブラック・キャッツ」をプロデュース、矢沢永吉との接点 -


  

山崎眞行とは?




1945年 - 2013年、享年67歳

北海道赤平市出身。

ちなみに歌手の三好鉄生も赤平市出身。

1970年代ストリートカルチャーの震源として名高い
「キングコング」、「シンガポールナイト」、「クリームソーダ」、「ピンクドラゴン」、「ガレージパラダイス東京」など、
伝説に残るカフェやブティックのオーナー。

1981年、伝説のロカビリーバンド「ブラック・キャッツ」を生み出した。

■YOUTUBE動画:原宿ゴールドラッシュ CREAM SODA


■略歴:
1945年、住友鉱業が経営していた北海道の炭鉱町・赤平に生まれる。

1963年、赤平高校卒業後上京、喫茶店ウエイター、洋服屋店員のバイト生活ののちセレクトショップの<三峰>に入社するも1ヶ月でやめる。

この職場で「生涯の相棒」となった伴晋作にであう。

1968年、伴晋作とライブハウス「怪人二十面相」を新宿にオープン。

当時、矢沢永吉が所属していたキャロルのファッションは、メンバーの行きつけだった新宿のライブハウス「怪人二十面相」を中心に話題となり、その後、原宿を中心に一世を風靡したロックンロールファッションの先駆けとなった。

「怪人二十面相」は、キャロルが一度スペシャル・ライブ(1974年3月6日)を行ったことで当時、最先端のライブハウスとなった。


1973年、原宿に「キングコング」、1974年、「シンガポールナイト」をオープンする。

1976年、世界初のドクロマーク・ブランド「クリームソーダ」を立ちあげ、70年代末には1日1億円という驚異的売り上げを記録。

店も「ガレージパラダイス東京」というメガ・ストアを所有するにいたった。

その後も、裏通りをCAT STREETと命名し、そこにPINK DRAGONビルを建設。 ファッション・ビジネス以外でもティモシー・リアリーに絶賛されることとなったロカビリーバンドBLACK CATS、MAGICらをプロデュース。

東京ストリートロッカー 【応募者全員プレゼント特典対象】


~ Dearest Cream Soda with love BLACK CATS ~ All Time Super Best“Melody”



1986年にはサクセスストーリー本「原宿ゴールドラッシュ」が刊行され、1990年には東映で映画化もされた。




2008年、緊急入院し、手術中に幽体離脱と思われる体験をしたことが契機となり、自己の人生を回顧することとなる。

2009年、「宝はいつも足元に」発行

2013年3月、原宿で犬の散歩の途中、突然倒れる。逝去





ヴィヴィアン (Vivienne Lynn) 
イギリス出身のモデル。父はイギリス人、母は日本人。

ヴィヴィアンのプロフィール紹介Youtube動画
 ヴィヴィアンが日本語を話しているシーンあり


■自分は、中学生の時から30年以上を経た今でもBlack Catsの曲を聴き続けている。 

Black Catsの曲を通して、「思いは現実化する」ことを体験し、そして人生を左右されることとなった。

それは彼らの歌詞或いは曲名に出てくる外国の地名がいつも頭の片隅に残っていて潜在意識の中に眠っていたのだろう、それらの場所に無意識のうちに足を運ぶこととなったのだ。 

中学生のときに「どんなところなんだろうか、行ってみたいなあ」という想いを抱きながら聴いていたのだが、30年経って、気付けばそれらの土地で働いたり、旅行していたのだ。 

本当に不思議としか言いようがない!!

・ロスアンジェルスからシアトル(Go Go トラベリングバス)
=>オレゴンに住んでいた時に、西海岸を車で制覇。 ロスを通り越して、メキシコのエンセナダまでぶっ飛ばした。

・シンガポール(シンガポール・ナイト)=>2年間、シンガポールで働いた。

・チャイナ(恋のチャイナ・クラブ)=>なんと12年間、中国で働いた。

・バリ島(Magic Island)=>2016年に偶然、旅行することとなった。

・コニーアイランド(雨のコニーアイランド)=>ニューヨーク市ブルックリン区にある遊園地。 ニューヨークのマンハッタンまでは2度ほど行ったのだが、ブルックリンにあるコニーアイランドまでは行けず、残念。でもニューヨークに行ったときは雨が降っていた(笑)


宝はいつも足元に

<内容>
はじまりの気分は、怪人二十面相とパイレーツだった。

原宿でドクロ旗をかかげ、巨万の富を手にした。

英国からきた女神と出会い、世界を旅した。

幾千、幾万のデザイン、アートを世に放った。

プール付きのビルを東京の中心地につくった。

名もなき道に名前もつけた。

何もかもを成功の賜物として手にできたはずなのに、山崎眞行は何も自分の物にしなかった。

何も欲せず、何も望まなかった。

64歳。生死が危ぶまれた手術が成功し、町に生還したとき、はじめて自分の人生の真実を見ることになった。

すべては自分の足元にあったことを知った。―山崎眞行、初の自叙伝。




DOQROが僕の夢をみる前に [DVD]

<内容>
原宿に50年代のファッションをコンセプトとした「クリームソーダ」「ピンクドラゴン」をオープン。

50`sブームを起こし、日本の50`のファッション、カルチャーの代名詞的な存在、山崎眞行氏の軌跡を当時のインタビューテープ、インビュー映像を元に脚色編集したドキュメンタリータッチの追悼DVD作品。

小学校4年生のとき、北の国の炭鉱町で、神の声を聴いた。
神はエルヴィス・プレスリー、『ハート・ブレイク・ホテル』を歌っていた。

少年はその衝撃を胸に刻み、やりたいことだけを一生やっていこうと決めた。

上京し、生涯の相棒と出会い、無一文から〈クリームソーダ〉という髑髏系宇宙を築きあげた。

すべての夢を独力でかなえ、東京に桜吹雪く日、ロックンロール・ロケットに乗り、次の宇宙へ旅だっていった。

少年の名は山崎眞行。このドキュメンタリーは、人生の宝は、いつもあなたの足元にあることを、伝えるために制作された。。。。



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