■読んではいけない人物伝 森啓成 (もりよしなり)
中村直吉 - 明治時代の冒険家、世界一周無銭旅行、 市会議員立候補得票数5票、かき氷で死す-

中村直吉とは?


中村 直吉(なかむら なおきち)



慶応元年6月25日(1865年8月16日) - 昭和7年(1932年7月27日)享年69歳

明治時代の冒険家。

生来の旅好きで「旅行狂」「風船玉」を自称した。

世界一周無銭旅行者。 直吉は、1901年(明治34年)に出発し、1907年(明治40年)に帰国した。

名前がよく似ている中村春吉は、1902年(明治35年)から1903年(明治36年)にかけて日本人初の自転車での世界一周を果たした。


中村春吉の写真:

中村春吉は、1871年(明治4年3月) 生まれ、1945年(昭和20年2月) 74歳没。


■中村直吉の生涯

・アメリカ行きまで:

三河国吉田呉服町(現・愛知県豊橋市呉服町)に生まれる。

明治20年(1887年)、福沢諭吉が横浜正金銀行初代頭取だった中村道太とともに、アメリカに「日本村」建設を計画すると、これに共鳴し参加を志す。

しかし、計画の責任者だった井上角五郎が甲申政変に関与した嫌疑で逮捕されたため、渡航直前に計画が頓挫してしまう。

アメリカ行きの志を諦めきれない中村は、翌21年(1888年)に結婚後間もない妻を残し単身渡米した。

以後、同26年(1893年)の一時帰国を挟んで、明治31年(1898年)までの前後10年間に及ぶ海外放浪を続け見聞を広める。


・世界一周:
帰国後は、呉服町で帽子店を営む一方で政治活動にも関わるが、再び海外渡航の計画を立てるようになる。

明治34年(1901年)、36歳の直吉は帽子店を妻子に任せ、世界一周に出発した。

ステッキを片手に、「World Explorer(世界探検家)」と書かれた白いリボンを洋服につけてアジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアを周遊。

シンガポールでは同時代の海外事業家である岩本千綱と出会っている。

*岩本千綱 (いわもと・ちづな):
1858年-1920年。 明治-大正時代の海外事業家。
安政5年生まれ。 自由民権運動にかかわり、陸軍中尉のとき免職。 明治25年シャム(タイ)にわたり、日本・シャムの交流につくした。 大正9年12月19日死去。 63歳。 土佐(高知県)出身。 陸軍士官学校卒。 著作に「暹羅(シヤム)老撾(ラオス)安南(ベトナム)三国探検実記」



直吉は、60カ国・5年10ヶ月に及ぶ旅で、その間の記録は、「世界各国旅行証明簿」と名付けた冊子に記録された。

行く先々では、各国の王族、貴族など著名人から一般市民まで出会った人々にサインを求めたため、冊子には400以上のサインが記されている。

明治40年(1907年)、世界一周旅行から帰国。 後に自己の探検記を、当時の人気作家・押川春浪との共編という形で『五大州探検記』と題して出版した(全5巻)。

これにより、中村は「明治の快男児」として各界から持て囃された。 また旅行記執筆とあわせて、講演のため各地を旅行している。

五大洲探険記 第5巻 欧洲無銭旅行



・その後:

後年は、再び政治活動に関心を持つ。

昭和3年(1928年)には社会民衆党に所属して豊橋市会議員に立候補するが、得票数5票で落選という結果に終わった。

新天地を求めて南米への移住を決意するも、渡航手続きのため上京した昭和7年(1932年)7月、かき氷を食べて心臓麻痺を起こし急逝。

享年69(満68歳没)。

・著作:
『五大洲探検記』(押川春浪編) 博文館 1912年
第1巻 亜細亜大陸横行
第2巻 南洋印度奇観
第3巻 鉄脚従横
第4巻 亜弗利加一周
第5巻 欧洲無銭旅行

『世界探検十五万哩』(シリーズ 出にっぽん記―明治の冒険者たち) ゆまに書房 1993年(復刻版)

『アマゾン探検記』(シリーズ 出にっぽん記―明治の冒険者たち) ゆまに書房 1993年(復刻版)

アマゾン探検記 (シリーズ 出にっぽん記―明治の冒険者たち)



■展覧会など:
豊橋市中央図書館にて、「郷土ゆかりの『冒険者』展」(2009年1月31日-3月1日)で紹介される。 彼の旅の手帳など所持品は同図書館に所蔵されている。



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