■ペレルマン - 前代未聞 フィールズ賞、ミレニアム賞辞退、賞金1億円辞退、無欲・孤高の天才数学者、趣味はキノコ狩り -

グレゴリー・ペレルマンとは?

グリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマンまたはペレリマン
(Григорий Яковлевич Перельман、Grigory Yakovlevich Perelman」)



グリゴリー・ペレルマン(1993年)


1966年6月13日生まれ。

ロシアの数学者である。

ミレニアム懸賞問題の一つであるポアンカレ予想を解決した。

2006年、100年間、誰にも証明されることのなかったポアンカレ予想を証明するも、フィールズ賞辞退。 

その後、2010年にはミレニアム賞も辞退。


高倉健(「ホタル」)やキムタク(「武士の一分」)が、
過去に日本アカデミー賞を辞退したのとはわけが違う。 

福本豊(通算盗塁939で世界新記録)は、1983年「国民栄誉賞なんかもらったら立ちションもできなくなる」と言って辞退。 

また、イチローは2001年に国民栄誉賞辞退した。

しかし、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を辞退するというのは前代未聞だ。 

ペレルマンが最初で最後のフィールズ賞辞退者になるのではないか。 2010年にはミレニアム賞も辞退した。


■YOUTUBE動画: NHKスペシャル ポアンカレ予想・100年の格闘


完全なる証明―100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)

<書籍内容>
イデオロギーが支配した砂漠・ソ連で「ポアンカレ予想」を解いた天才は、いかに生まれ、育ったのか。
百万ドル(約1億円)の賞金がかけられた数学上の問題「ポアンカレ予想」。
今世紀中の解決は無理といわれた難問の証明を成し遂げたロシア人グリゴーリー・ペレルマンは、しかし賞金を断り、
勤めていた研究所も辞めた。
世界中の一流大学から舞い込んだポストの申し出も断り、
数学における最高の栄誉であるフィールズ賞も辞退。
数学者ばかりか、ほとんど全ての人と連絡を絶ち、森へ消えた――。なぜか?


<略歴>
1966年 - ロシアに生まれる。その後サンクトペテルブルク第239高校卒。

1982年 - 国際数学オリンピックにおいて全問満点で金メダルを獲得。

1992年 - ニューヨーク州立大学ストーニブルック校博士研究員。

1994年 - ソウル予想を解決。

1995年 - ロシアに帰国。ステクロフ数学研究所に所属。

1996年 - ヨーロッパ数学会賞受賞を辞退。

2003年 - サーストン幾何化予想、及びその系としてポアンカレ予想の解決を宣言。

2005年 - ステクロフ数学研究所を退職。

2006年 - フィールズ賞受賞を辞退。

2010年 - ミレニアム賞受賞を辞退。


■YOUTUBE動画: グリゴリー・ペレルマン博士の現在 (2012年当時)


■略歴:
サンクトペテルブルク生まれ。

元ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。

専門は幾何学・大域解析学 (Global Analysis) ・数理物理学。

電気技術者の父と数学教師の母の間に生まれる。

幼少期に母親から数学の英才教育を受け、サンクトペテルブルク大学で学びアレクサンドル・アレクサンドロフ (Aleksandr Danilovich Aleksandrov)
の下でカンジダート(欧米では博士号に相当)を取得。

学生時代、当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、全問満点の金メダルを授与された。

この時、物理学にも興味を持っており、その才能は当時の
友人アレクサンドル・ガラバノフ曰く「もし国際物理オリンピックに出場していれば(国際数学オリンピックを優先するよう周囲から勧められていたため、国際物理オリンピックには出場しなかった)そちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」というほどのものだった。

その後、ソ連崩壊を受け1992年からニューヨーク州立大学ストーニーブルック校、カリフォルニア大学バークレー校で研究を行った。

この間にソウル予想を解決し注目を集める。

1995年のロシア帰国後はサンクトペテルブルクのステクロフ数学研究所に所属していたが2005年12月に退職届を提出し、2006年1月以降は同研究所に現れていない。

現在は実家で母親の年金で生活しているとされる。

ポアンカレ予想の解決以前にも、ユーリ・ブラゴ (Yuri Dmitrievich Burago) 、ミハイル・グロモフとともにアレクサンドロフ空間 (Alexandrov space) の幾何学を構築したことで、すでに著名な業績を残していた。

アレクサンドロフ空間の構造論を生み出し、リーマン多様体 (Riemannian manifold) の安定性定理を与えた。
この分野におけるグロモフの予想 (Gromov's filling area conjecture) 、cheeger-gromoll soul予想 (Soul conjecture) の解決もペレルマンの仕事である。


■ペレルマンとポアンカレ予想:

arXiv で以下の3つのプレプリント (Preprint) を発表しポアンカレ予想を解決したと宣言した。

・The entropy formula for the Ricci flow and
its geometric applications, 2002年11月11日

・Ricci flow with surgery on three-manifolds, 2003年3月10日

・Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow
on certain three-manifolds, 2003年7月17日

彼はウィリアム・サーストンの幾何化予想(ポアンカレ予想を含む)を解決してその系としてポアンカレ予想を解決した。手法もリチャード・S・ハミルトンの発見したリッチ・フロー (Ricci flow) (ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論)と統計力学を用いた独創的なものである。

ペレルマン論文に対する他の数学者達による検証は、国際的な数学者の助力の下2006年夏頃まで続いたが、結論として少なくともポアンカレ予想についてはペレルマンの証明は正しかったと考えられている。

2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞したが、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した。

フィールズ賞の辞退は彼が初めてである。 

ペレルマンは以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどした経緯があり、賞金に全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格でも知られていた。

アメリカの雑誌の取材に対しては「有名になると何も言えなくなってしまう」と答えている。

現在は故郷で母親と共にわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明だが、ひそかにケーラー・アインシュタイン計量 (Einstein-Kahler metric) の存在問題に取り組んでおり、数学者としての研究はいまだ放棄していないと言われる。

趣味はキノコ狩りとされ、人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せない人物であるが、学生時代までは笑顔の絶えなかった少年として周囲から記憶されている。

2010年3月18日に、クレイ数学研究所は、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表した。

彼は2010年6月8日の授賞式に姿を見せなかったが、
クレイ数学研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管されるという。 同年7月1日にロシアのインテルファクス通信がペレルマンの話として伝えたところによると、受賞を断った理由は複数あるが、ハミルトンのリッチ・フロー発見に対する評価が十分でないことなど、数学界の不公平さに異議があることをその主たるものとして挙げたという。

これを受けてクレイ数学研究所は、同年秋までに賞金の使途を数学界の利益になる形で決定すると述べた。

2011年4月、映画プロデューサーの Aleksandr Zabrovsky が彼に関する映画を作ることで合意し、彼のインタビューを公開した。

しかしこれには彼の発言の矛盾点が指摘され、多くのジャーナリストはこのインタビューは「捏造の可能性が高い」としている。


■ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る [DVD]
必見!!! ★★★★★

ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る~ [DVD]




=>Back