森 功 - 神戸にて昭和天皇に料理を献上。香川県にて明治時代から受け継がれる本格洋食の普及に尽力。旧・神戸オリエンタルホテル出身の西洋料理人 -

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1972年撮影。香川県東かがわ市三本松にあるレストラン・オリエンタル内にて。当時、県内では珍しかった顧客の目の前でステーキを焼くオープン・キッチン・スタイル。





森 功 (もり いさお)

1938年(昭和13年)5月15日~2013年(平成25年)9月3日

香川県大川郡大内町馬篠(現、東かがわ市馬篠)生まれ。

旧・神戸オリエンタルホテル出身の西洋料理人。

天皇、皇后、皇太子、皇族向け料理プロジェクトメンバー。


■経歴:
1938年(昭和13年)香川県大川郡大内町馬篠にて生まれる。父 静雄、母 辰子。森家は江戸時代まで武士をしており、馬篠にある柏谷を開いたとされ明治時代以降、農業に従事。

生家は瀬戸内海の海沿いにあり、眼前には、播磨灘に浮かぶ柱状節理の絹島(天然記念物)がある。 

また、生家の近くには卑弥呼説のある箸墓古墳に埋葬されている倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の一行が船で当地にきた際に、松に艪をかけて休んだとされる艪掛(ろかけ)神社がある。

ちなみに、元首相・吉田茂の料理番で、日本のフレンチの草分けと言われた志度藤雄氏も同じく香川県大川郡の出身である。


1956年(昭和31年) 18歳
18歳の夏、単身、馬篠から高松を経て神戸へ向かう。

当時、神戸元町の旧居留地にあったオリエンタル・ホテルにて働き始める。


■オリエンタル・ホテル勤務時代(1956年~1972年):



1958年9月5日。 石原裕次郎と北原三枝。 オリエンタルホテルにて。



1959年4月28日(昭和34年)。第12代総料理長 伊藤孝二氏(左)とともにホテル5階にて(20才)



1958年(昭和35年)、オリエンタルホテルの調理場にて。左端が伊藤孝二 第12代料理長。


オリエンタル・ホテルにて勤務した期間、昭和天皇、皇后、皇太子、財界、政界の著名人、石原裕次郎に代表される芸能人、ジーン・バッキー投手を始めとする阪神タイガースの選手面々、当時、来島ドック社長であった坪内寿夫氏、そして、作家の安部譲二氏の父親である安部正夫氏らに料理を提供した。特に安部正夫氏は神戸牛のステーキを好んで食した。

また辻調理師学校、芦屋の料理教室での講師も務めた。



1962年4月20日のディナーメニュー


レシピノート


レシピノートの中身


■昭和天皇へ料理献上:

日本が高度経済成長期にあった昭和30年代、オリエンタル・ホテルにて1つのプロジェクトチームが結成される。



その目的は、昭和天皇のオリエンタルホテルでの宿泊の際の料理を作り献上することであった。

当時ホテルにいた500人余りのコックの中から5名が選抜された。

選抜メンバーは第12代総料理長である伊藤孝二氏、石坂勇氏、梶谷氏、森功、梅田氏の5名であった。

料理を作る1ヶ月前から兵庫県職員立会のもと、健康診断、検便などの検査、そして、戸籍などの身元調査が開始。

当時、東かがわ市馬篠の実家にも調査員が訪れた。

1週間前になるとホテルから外へは出られず、抗生物質の投与が開始された。

料理に使う道具類は、全て大きな鍋に熱湯を沸騰させ絶えず煮沸消毒された。

実際に出された料理は、神戸牛、明石の鯛など最高級の食材数種類の一番美味な箇所が少量ずつ提供された。

神戸牛は元町に現在もある創業明治6年の「森谷商店」から献上された。



昭和天皇に献上された牛は、前日、元町通りをパレードして練り歩いた。

天皇の晩餐終了後には各メンバーに対し、十六菊花紋の印がはいった御賜の煙草が配られた。




■香川県にてステーキレストラン・オリエンタル開店:


1972年(昭和47年)10月18日 東かがわ市にて営業開始。開店日当日の店舗写真。




1972年(昭和47年)10月18日 34歳
第一次オイルショックの前年1972年、香川県東かがわ市にてステーキ・レストラン オリエンタルをオープン。

1972年の開店以来、2013年までの41年間にわたって、京阪神のホテルやレストランからどのような誘いがあろうと生まれ故郷、香川県での営業と明治時代から受け継がれる伝統の味と品質を守ることにこだわり続け、本格洋食の普及に尽力した。

またライオンズクラブに所属し、東かがわ市での社会奉仕活動にも参画した。

試行錯誤の末、生み出されたステーキソースを始め、マヨネーズからドレッシング、タルタルソースに至るまで全て手作りにこだわり、特にビーフ・ステーキ、スモークサーモンは、地元だけでなく高松、徳島から食べに訪れる常連顧客も多く、親子、孫3代にわたるファンも多い。


2013年(平成25年)9月3日 AM 0:56 75歳 永眠
大志を抱いた18歳から亡くなる75歳までの57年間、明治時代から受け継がれる伝統の味を守り続けることに全精力を傾け、生涯 一料理人としての人生をまっとうした。

「味を変えないことは、味を変えることよりも勇気と忍耐がいる。」

現在は二代目が香川県にて伝統の味とレシピを受け継いでおり、知る人ぞ知る、隠れ家的レストランとなっている。


Facebook: 東かがわ市三本松にあるステーキレストラン オリエンタル


■旧・神戸オリエンタル・ホテルとは?
神戸オリエンタルホテルは、明治以降、日本で最高レベルのホテルの一つであり、また最高の料理が味わえる場所として有名だった。

外国人居住者、外国人観光客だけでなく、日本の財界、政界人も上流社会の社交場として利用していた。

その歴史を振り返ると、1889年(明治22年)に『オリエンタル・ホテル』に宿泊したイギリスのノーベル賞作家 ラドヤード・キップリングは、『オリエンタル・ホテル』の料理を「世界最高峰の料理だ」と絶賛した。


戦前のオリエンタルホテルのロビー


戦前のオリエンタルホテルのレストラン


戦前のオリエンタルホテルのパンフレット



1922年(大正11年)、アインシュタイン博士が来日した際に滞在。

1924年(大正13年)11月には神戸に来た孫文が滞在した。この時、孫文は「大アジア主義」と題した有名な演説を行い、また頭山満とオリエンタルホテルにて2日間に渡って会談している。

1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラー(1880~1968)が、来日した際、住友男爵の神戸の別荘に数日間滞在したが、住友男爵はオリエンタルホテルのシェフに彼女のための食事を準備させた。 ヘレン・ケラーは後年、「これまで食べた中で一番美味しい料理だった。」と書いている。

1948年(昭和23年)に完成した谷崎潤一郎の作品「細雪」にはオリエンタル・ホテルが幾度も登場する。

1954年(昭和29年)には映画女優マリリン・モンローと大リーグの名選手ジョー・ディマジオが滞在した。

そして、1956年(昭和31年)以降、昭和天皇が神戸に来た際に滞在、食事をするホテルとなった。

歴代の料理長には、『帝国ホテル』の礎を築いた内海藤太郎氏や、『築地精養軒』の全盛期をもたらした鈴本敏雄氏、岡山広一氏、田上舜一氏といった、日本の西洋料理史に名高い名料理人が務め、往年期は「日本の西洋料理といえば東の帝国ホテル・横浜ニューグランド、西のオリエンタルホテル」と言われた関西屈指の名門ホテルであった。


■旧・神戸オリエンタル・ホテル歴代料理長:
ルイ・ベギューがオーナー兼シェフを していた「オテル・デ・コロニー」の料理長に就任し、このホテルが、後に「神戸オリエンタルホテル」となり、黒沢為吉が初代料理長に就任する。

日本の西洋料理史に名高い伝説のシェフ達が歴代の料理長を務め西日本屈指の名門ホテルとしてその名を馳せた。

第1代料理長:黒沢為吉
第2代:羽谷寅之助
第3代:米沢源兵衛
第4代:鈴木卯三郎
第5代:鈴本敏雄(1890~1967)『築地精養軒』の全盛期をもたらす
第6代:杉本甚之助(阪急百貨店食堂顧問、宝塚ホテル料理長など歴任、宝米ピラフの考案者)
第7代:内海藤太郎(1874~1946)『帝国ホテル』の礎を築く
第8代:木村健蔵(東洋ホテル料理長)
第9代:岡山広一(倉敷国際ホテル総料理長)
第10代:田上舜三(倉敷国際ホテル総料理長)
第12代:伊藤孝二
第-代:石坂勇(神戸オリエンタルホテル名誉総料理長)



1962年5月19日(昭和37年)。 比叡山にて。第12代総料理長 伊藤氏(左)と森 功。


2002年1月13日撮影。第12代総料理長 伊藤孝二氏を偲ぶ会。神戸メリケンパークオリエンタルホテルにて。


100年前のビーフカレー

元名誉総料理長 石坂勇氏が100年前の旧オリエンタルホテルのレシピを再現。


■関連書籍:



フランス料理人伝説〈第1巻〉鹿鳴館、中央亭、綱町三井倶楽部、築地ホテル、横浜グランドホテル、神戸オリエンタルホテル

 

ホテル料理長列伝