「好きなことをやって生きる」

これまで多くのビジネス書籍を読んできた。

それらの書籍の中で、各界の多くの著名人が「自分の好きなことをやって生きることが成功の秘訣だ」といった類のことを書いている。 誤解を避けるためにあえて書いておくが、この「好きなことをやる」というのは、他人の迷惑も顧みず、自分の好き勝手に生きるということではない。 「自己の好きなこと、得意なこと、長所を伸ばして、世の中に貢献する」という意味合いのものだ。

たしかに、成功=お金と考えて、お金のために好きでもないことをやっていても、長続きしないし、第一、自分が生きていて幸せに感じない。 自分が育ってきた環境の影響もあるのだが、「サラリーマンの給料は限られている。 独立して自分の事務所を持ち、商売を始めたい。」と思い、大学卒業後、最初に就職した会社で働きながら法律の専門学校に1年半ほど通った時期がある。 しかし、自分が心の底からやりたいことではなく、お金もうけがしたいという動機から出発してやっていたことだったため、物事はうまくいかなかった経験がある。

理学博士、地球物理学の世界的権威で科学雑誌『ニュートン』の編集長としても有名な竹内 均氏が、自叙伝的な著書「頭をよくする私の方法」の中で、好きなことをやって自己実現することこそが人生の理想であると主張している。

その自己実現とは、「(1)自分の好きなことをやる(2)それで生活が成り立つ(3)それが他人から高く評価される」ということで、そのためにはまず「勤勉であることが必要」と述べている。その前提には「健康」があり、頭と体のコンディションは規則正しい生活から始まる。そして、自己実現のための様々な方法を紹介しているが、その大前提にはまず「目的を持つこと」があり、目的を持つヒントとして福沢諭吉の8つの言葉を引用している。

たしかに、アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(1908年〜1970年 A.H.Maslow)も,彼が唱えた欲求段階説の中で,5段階の頂点に自己実現の欲求を挙げている。 (後年になって、彼は「自己実現欲求」でさえも人間最高の欲求ではなく、自己を越えて宇宙との一体感を求めるような欲求が誰の心の中にも、潜在的に存在していると確信し、「自己超越欲求」を最終目標としたが、、。)。

この欲求段階説によると、人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて(後年になって自己超越欲求を追加)、底辺から始まって、1段階目の欲求が満たされると、1段階上の欲求を志す、そして、その基本的な諸欲求を適度に満たすことが出来れば、人間はますます成長し、心理的に健康になっていくと考えた。 フロイトなどの精神分析が、人間の(性的な)欲求をネガティブに捉えていたのに対して、このマズローは、人間の衝動・動機・欲求それ自体は、決して悪いものではなく、中性的あるいは良いものであると捉えている。

1、「生理的欲求」・・・・・空気・水・食物・庇護・睡眠・性等の根源的な欲求

2、「安全への欲求」・・・・安全・安定・依存・保護・秩序への欲求


3、「親和の欲求」・・・愛されること、家族の中に居場所があり自分が愛されることへの欲求

4、「自我の欲求」・・・・・・自尊心・尊敬されることへの欲求


5、「自己実現」・・・・・・自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求


6、「自己超越」・・・・・・後年になって追加。 今までの、あるいは現状の自分自身を超えたいという欲求。自己を越えて宇宙との一体感を求めるような欲求。 現在の「トランスパーソナル心理学」というのは、マズローの主張と業績が受け継がれているもの。


極端な例かもしれないが、竹村健一氏、大前研一氏(「やりたいことは全部やれ!」等)の数々の書籍には、好きなことをやって、自己実現を目指してきた旨の体験談が多く書かれている。 

また、船井幸雄氏の著書の中にも、「すべての存在は、独自の使命というか役割をもっているようだ。その使命や役割は、その存在の長所や得手なことを活用することで果たせるようになっている。 と、ともに、短所や不得手なことは、それに触れないほうがいいことを知るためにあるようだ。 したがって、人間は、まず人間という種、ついで自分の長所と得手なものを伸ばし、活かすことで、自分のため、世のため、人のために貢献するのを目的としてこの世に生まれてきたと考えていい。その時、短所、不得手なことには、できるだけ触れないよう心がけるべきであろう。」と書かれている。 氏いわく、個々の人たちをみても、上手に生き、世のため、人のために元気に尽くしているひとたちは、その個々人の長所的、得手的特性を活かして、自分のため、人のため、世のために貢献している人たちだそうだ。 短所や不得手なことで貢献している人は皆無に近いといっている。

この好きなことをやって自己実現を目指す段階ならまだ理解できるが、自己超越の段階となると、頭に思い浮かぶのは、京セラ創立者の稲盛和夫氏、哲人 中村天風氏等の人たちか。

しかしながら、現実問題として、この「好きなことをやって、生活が成り立ち、世の中で認められる」という究極の自己実現を達成することができるひとは少数派だろう。 謝 世輝氏は、その著書「言霊の法則」の中で、「私が子供の頃、『人間は何のために生まれてきたのか』ということをじっと考えた末に私なりの結論を得た。それは、『私は、やりたいことをやるために、この世に生まれてきたのだ』ということだった。 まだ、子供だから、稚拙な考えではあったが、いま考えてみると、そんなに間違ってはいないと思う。 先の登山家は、山から人生を学ぶために生まれてきたといってもいいほど、一生山を愛し、山で過ごした。 もちろん、登山家が金持ちになれるわけがないから、豪邸も建てられなかったし、ゴージャスな生活は何ひとつしなかったと思う。 しかし、なぜ、彼の人生が豊かなのかと考えると、それはまさにやりたいことをやって、死んでいったからではないだろうか。 ここでもう一度、人生を立ち止まり、自分は何をしたいのだろうと考えることは必要ではないだろうか。」と述べている。

先日、この好きなことをやって生きることと現実問題のギャップを軽減するのにヒントになりそうな考え方を紹介した書籍を読んだ。 あるカウンセラーの方が書いた書籍だ。 当然のことで多くのひとが持っている意見かもしれないが、好きなこと(天職)と生活のためにやる仕事(適職)を分けて考える、割り切って生きるという意見だ。 

以下が氏の意見だ。

天職と適職は違います。 この二つは、よく混同されがちですが、違いをはっきりさせることが大切です。 その違いは、宿命と運命の違いによく似ています。 宿命に当たるのが天職です。 天から授かった職業。 自分の魂のための仕事です。 自分が好きで仕方がないこと、あるいは、人に喜んでもらえることです。 

一方、 運命に当たるのが適職です。 これは、自分が持っている頭脳や肉体のいい部分を使って、お金を稼げる職業のことをいいます。 あくまで現世で生きていくための手段でしかありません。 天職と適職が同じという人はほとんどいません。 同じなのはかなり珍しいことです。 なぜなら、天職は収益にならないことが多いからです。

例えば、病院のお医者さんの中には、『この仕事は適職だと思う』と言う人がいます。 『傷ついた人を救う聖職者だ』と。 けれど現実には、製薬会社の思惑や、病院のシステムなど、物質界のことに振り回されているのが実情です。 そんな中で、『医師は天職』と思いつづけているとすれば、それは傲慢です。

本当に『傷ついた人の命を救う』という純粋な目的のために、無医村に行くとか、『国境なき医師団』のように紛争地帯で苦しむ人々のために働くといった道を選べば、それは『天職』といえるでしょう。それで生活できるだけの収益があるなら、『天職』と『適職』が一致した幸せな例といえます。

『天職』と『適職』は、車の両輪なのです。両方に同じだけの比重がかかっていれば、前に進むことができますが、どちらかが、少なければ、まっすぐに進むことはできません。 人生を前向きに生きるためには、両者に同じ比重をかけることが必要なのです。 

収益の伴わない天職だけでもダメだし、収益だけの適職だけでも心は満足しません。 天職と適職、二束のわらじのバランスが崩れると、自分を守りきれなくなります。

生活のためのの仕事は、生活のため。 好きなことは、それで生活しようと考えず、お金を度外視してやっていく。 割り切ることが必要なのです。 天職と適職が一致しているのは、ごく限られたひとたちだけです。 画家や作家など、クリエイティブな仕事をしていてる人たちがそうだと思われがちですが、それさえも自分ひとりの力で好きなように作れる部分は限られています。 お金を稼ぐという目的があると、どうしても天職とは違う、適職になっていきます。

最初から割り切って二つにわけておくほうが、それぞれにいい結果が出せます。 

例えば、フラワーアレンジメントや、アロマセラピーなど、好きな習い事をして、お金を頂けるようにもなるかもしれません。 けれど、会社をやめてお店を開業したりすると、営業や経営など、次第に最初の「天職」の喜びとは違うことをしなくてはならなくなります。

この天職と適職の定義を、しかっりと理解して生きていくのと、曖昧にしたまま仕事で悩みつづけるのとでは、人生にかなり差が出てきます。天職と適職、両輪のバランスを上手にとれれば、人生のドライブは快適なものになるでしょう。」

この「天職」と「適職」をうまく使い分けたひとで思い浮かぶのは、第一勧業銀行に勤務しながら、作詞家、作曲家として活動していた小椋 佳氏だ。 「シクラメンのかほり」、「夢芝居」、「愛燦々」など多数のヒット曲を世に送り出している。普段は、サラリーマンとして働きながら、週末の夜を 曲作りにあてていたそうだ。 1993年、26年間勤めた第一勧銀を退職され、現在は、脚本・舞台創作・音楽活動等、多彩な活動を展開されている。

氏の天職・適職論を自分に当てはめてみた。 確かにこれまで、就職、転職など、どの道をとるべきか、とても迷う、人生の分岐点があった。 自分の場合は、それらの分岐点において、氏の意見と同じような考え方をして、人生の矛先を決めてきたように思う。 

自分は「英語」がとても好きだが、学者になるほどではない。 でも英語を教えることはやりたいと思っている好きなことだ。 自分の特性は、「動」と「静」で言えば、「静」の部分も持ち合わせているが、「動」の部分が60%くらいは占めていると思う。 とちらかといえば、一日中、机に向かって研究に打ち込むよりは、どこかに出かけて、ひとと会って話をするほうが好きだ。 また、香川県の片田舎で育ったせいか、幼少の頃から、田舎を出て、都会あるいは海外で活躍する強い憧れみたいなものがあった。 だから、海外で、自分の好きな英語を使って仕事ができればいいなぁ、英語を教えることは年をとってからでもできるだろうと思って(教職に就れている方ごめんなさい)、大学卒業後、海外関連の仕事ができるところに就職した。 

その後、再度、大学院に行き、学問の道にいくか一般企業で働いていくか迷った時期があった。 そのときも、また、今しか出来ないことをやろう、海外で精力的に働ける期間は限られている、若いうちに海外で働こうと考えた。 また、英語を教えるにしても海外でのビジネス経験を積んで現場で通用する実践英語を教えるほうが学ぶ人にとってもためになるし、説得力があるだろうと考え、転職し、海外に出ることになった。

自分の好きな英語をこれまでやってきて、その過程で学んだ学習法や経験談を英語学習のホームページを作って紹介したり、ひとに英語を教えたりして、それが少しでもひとのためになれると思うと自己満足かもしれないが、この上なく嬉しい。 今、自分が思うには、自分にとって「天職」といえるものは英語を教えたり、できれば英語関連の書籍を書くこと、「適職」は会社勤めをして、英語を使ってビジネスをすることだと感じている。 本当にありがたいことで、両親、友人、周りの人たちに感謝しているが、自分の場合は、好きなことと、生活のためにやっていることに重なる部分が多い状況にあると思っている。 今後、人生がどう展開していくかは分からないが、これからも自分の好きな英語をやり続け、そのことが、できるだけ多くのひとのためになるような形になっていけば、と強く思う。

2002年9月14日 記
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