夢を諦めない人たち  (2010/7/21〜) ブラックキャッツ

心の成長に終わりはない」   松下幸之助

肉体の成長は、ある時期に自然と止まってしまう。しかし、心の動きは、
心がけ次第でいくらでも伸びてゆく。困難に挫けることなく常に勇気と希望にあふれ、
新たな夢に果敢に挑戦しつづけていく限り、心の成長は決して止むことはない。
そしてこの心の成長こそが、人間としてのほんとうの成長ではなかろうか。




青春とは心の若さである」    松下幸之助

まだ年が若いのに、目に光りなく、何とはなしに生きているような人がいる。
他方、年老いてなお意気盛んで、はつらつと活動を続けている人もいる。
青春とは心の若さである。
信念と希望にあふれ希望にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、
青春は永遠にその人のものである。




自分一人の幸福はない」   松下幸之助

人と人とがつながり合っているこの世の中で、どれほど求めたところで、
自分一人だけの幸福が成り立つものではない。
どんな小さなことでもよい。どんな一隅にあってもよい。
やはり人に尽くし、世に尽くし、自分も幸せなら他人も幸せ、そんな姿をめざしたい。
人間として真に充実した日々がそこから生まれてくる。




志を失わないかぎり 挫折はない」   松下幸之助

人間のすることである。思うにまかせぬことも時に連続して起こってくる。
しかしその度に挫けていたのでは、何一つ成就することはできない。
何度転ぼうとも構わないではないか。人間は志さえ失わなければ、
失敗の中からも何かを学び取り、より逞(たくま)しくなって再び立ち上がることができるのである。




「真剣に志を立てよう。 生命をかけるほどの思いで志を立てよう」  松下幸之助


「人間の一生というのは、自分の”目線の高さ”に比例する。 いつも目線を上に向けて、毎日ちょっと努力していくと、その人は少しずつ伸びていく。」  大前研一


「志の低い人間は、それよりさらに低い実績しか挙げられない」 〜 落合博満


「何でもできるパソコンを世界中の家庭に普及させるのが夢」 〜 ビル・ゲイツ


「夢を持たないと運は向いてこない」 〜 安藤忠雄


「世の中には困難なことが山ほどあるが、不可能なことは少ない。」 〜 孫正義


「諦めるより夢を見る方が性に合っている」  〜 ロベルト・バッジョ: 「イタリアの至宝」と称され、現役を退いた今も世界中に多くのファンをもつサッカー選手。 


「型破りな発想をするためには、天才でなくても、ビジョンが無くてもいい。 大卒である必要さえない。ただ、構想と夢を持っていればいいだけの話だ。」

 〜 マイケル・デル: デルコンピューター創業者の名言。 イノベーションを起こすためのすべての源泉は「アイデア」と「情熱」。


努力の天才になりたい。」 
イアン・ソープ: 天才スイマー。 オリンピック水泳選手。 金メダル世界記録多数。 
1982年10月13日シドニー生まれシドニー・オリンピックで金メダル3つと銀メダル2つ、コモンウェルス大会で金メダル4つ、世界選手権大会で金メダル8つを獲得した。

「自分は野球が好きだからもっと野球が上手くなりたい。」


イチロー (米大リーグの最多安打記録を達成した後、「僕の野球人生の中で最高に熱かった。」「小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だ。」と喜びを語った。 
しばらくの時間を経て、次の目標はと聞かれた際に「自分は野球が好きだからもっと野球が上手くなりたい。」と深い言葉を残した。)

「本当にやりきったときに」 
イチローの国民栄誉賞受賞辞退の弁。 官房長官が記者会見で、国民栄誉賞受賞を辞退した米大リーグのシアトル・マリナーズのイチローが代理人を通じ
「野球生活を終え、本当にやり切った時に、もし頂けるならば大変ありがたい」とのコメントを寄せたことを明らかにした。

イチローは「国民栄誉賞は日本国民として最高の賞で(授与の打診は)大変光栄だ」と謝意を示した上で、「国家から表彰を受けると、モチベーション(動機づけ)が下がり、
ピークが終わったのではないかと受け取られると、ファンにも申し訳ない」と説明。 「まだまだ、やらなければならないことがあり、プレーを続けている間はもらう立場にはない」と
現役中の受賞を辞退することを表明した。



「アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人が少ない。我々は、それをがむしゃらにやるだけである.」 
盛田昭夫: ソニー創業者が語る実行の勇気。誰もが言うことはできるが、やろうとはしない。本当の成功者とは、ただ貪欲に物事を実行しているだけ。そこには、戦略と着実さが必要。


「辞めようと思って暗闇にいた私だけど、夢を持っていれば光が見える。 それを支えてくれた人に伝えたい」 

高橋尚子  岡本真夜「TOMORROW」  YOUTUBE

- 人物名 - 関連書籍 関連Webサイト 参考
- 大久保美来 - -
義手のバイオリニスト 大久保未来さん


数万人に1人という先天性四肢障害で、生まれながらにして右腕の関節から先がないまま生まれた大久保美来さん。
義手でバイオリンを弾くのは難しいと言われているものの、本人と家族らのサポートで奇跡の音色を奏でる。
2008年の24時間TVではフィギュアスケート浅田真央選手とも共演した。

- 山口絵里子 1981-






マザーハウスHP:
http://www.mother-house.jp/

本人ブログ:
http://www.mother-house.jp/blog/eriko/

インタビュー  ★★★★
途上国の未来を切り開くビジネス


情熱大陸 Youtube  ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=9n0qNVWscio

<Wikipediaより>

山口 絵理子 (やまぐち えりこ、1981年 - )は日本実業家バッグデザイナー

略歴:
株式会社マザーハウス代表取締役兼デザイナー。1981年埼玉県生まれ。小学校時代はいじめに遭い不登校となる。中学時代は、その反動で非行に走るが、柔道に出会い更生した。埼玉県立大宮工業高等学校時代は「男子柔道部」に唯一の女子部員として所属し、全日本ジュニアオリンピック第7位。慶應義塾大学総合政策学部にAO入試で入学。大学4年の時、米州開発銀行でのインターンを経験。 インターネットで「アジア 最貧国」のキーワードで検索してバングラデシュに興味を抱く。実際にバングラデシュを訪問し、貧困や汚職といった現状を目の当たりにする。バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。在学中三井物産ダッカ事務所にてインターンを経験。2006年に株式会社マザーハウスを設立、代表取締役社長に。 「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。「Young Global Leaders 2008」選出。


経営者として:
政府による開発援助のあり方に疑問を感じ、アジアの最貧国バングラディッシュのダッカでジュートを材料にしたカバンの工場を設立、日本で販売を始める。

社名の由来はマザーテレサ

ソーシャルアクション:
バングラデシュで学校に行くことができない子どもたちにスクールバッグを提供する事業を企画。 2007年11月に発生した大規模なサイクロンにより、被害を受けたバングラデシュに毛布・鍋を被災地の人々に配布。

日本において流行している「社会起業家」という肩書が付けられ、とまどいを感じると語っている。

<プロフィール>
1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。ワシントン国際機関でのインターンを通じ、途上国に対する支援のあり方に疑問を持ち、たった一人で「アジア最貧国 バングラデシュ」に渡る。その後、ジュート(麻)を使った高品質でデザイン性の高いバッグを生産する「株式会社マザーハウス」を設立。その商品力と、バングラデシュにおける雇用機会創出という理念を持ったマザーハウスは、多くの学生・社会人に支持されている。「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。

- 奥田良子
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詳細プロフィール



<プロフィール>
大阪音楽大学卒業後、関西を中心に全国で演奏活動を展開。
将来を期待されるが、在学中発病した厚生省指定難病「クローン病」の悪化により、演奏活動を断念。

7年間の閉じこもりを経て、社会復帰とともに音楽活動を再開。

現在は夫である奥田勝彦とユニットバンド「デュオ・エスペランサ」を結成。

その活動は様々な新聞やミニコミ誌、雑誌で取り上げられ、フジテレビ「奇跡体験アンビリーバボー」やテレビ東京「生きるを伝える」で放映されて全国から出演依頼が殺到。 全国的に活動の場を広げている。

将来を期待され、演奏家としての階段を着実に上っていく中、厚生省指定難病「クローン病」を発症。

「一生治りません。でも死ぬことはありません」と宣告される。闘病生活と挫折。

数年間の『ひきこもり』7年間の『ブランク』を乗り越え、もう一度「光のステージ」立った奇跡のフルーティスト。

一人では生きていけないこと、挫折と乗り越えた先にあるものを、フルートとオカリナの演奏を通して多くの人に伝えたい。




- 島袋勉 1963-




本人サイト:
夢をあきらめない

YOUTUBE動画:
島袋勉さん インタビュー

東京マラソン2007ゴール

岩国市講演

「夢をあきらめない」小学校講演会



島袋 勉    (しまぶくろ  つとむ)

1963年  沖縄県那覇市生まれ
1983年  20歳で会社創業。新システム開発により成長。
2001年  アメリカのIT事業視察の帰り、千葉県にて踏切り事故により両下腿切断。高次脳機能障害(記憶障害)を負う。
2002年  事故より20ヶ月間入院。会社の危機のため急遽退院。
2003年  社会復帰。同時に再び社長に就任。会社再建に立ち向かう。
2004年  11月両足義足でトリムマラソン3キロに初挑戦。
2004年  12月(42.195キロ)ホノルルマラソンに挑戦完走。
2005年  バンクーバー・ゴールドコースト・NYシティマラソン等海外のマラソンや各地の国内マラソンに出場しいずれも完走。
2006年  1月アルゼンチン、アコンカグア登山挑戦。
2007年  8月富士山初登頂。
2008年  8月富士山麓一合目より登頂。
2009年  11月ツール・ド・おきなわ 沖縄本島一周313`コース完走。

現在も「あきらめない習慣」を身に着けるためマラソンそして登山を続けている。
株式会社ラシーマの会社経営の責任を果たしつつ社会貢献活動として、要請がある機関・学校には『講演講師』として出向いている。
著書に「義足のランナー」(文芸社)がある。
第29回(2006年度)「琉球新報社会活動賞」受賞。
第20回(2007年度)「ランナーズ賞」受賞。


【主な著書】

「義足のランナー」
           
【主な参加大会】
ホノルルマラソン
2007,2008東京マラソン
バンクーバ国際マラソン
ゴールドコーストエアポートマラソン
ニューヨークシティーマラソン
中部トリムマラソン
久米島マラソン
野辺山24時間マラソン
NAGOハーフマラソン
あやはし海中ロードレース
ツールドおきなわ 他


- 高橋尚子 -










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<Wikipediaより>

高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )は、岐阜県出身の元女性マラソン選手。スポーツキャスター、マラソン解説者。大阪学院大学特任教授。身長163cm。血液型O型。愛称はQちゃん

2000年シドニーオリンピック女子マラソン競技で日本人女子陸上競技選手初となるオリンピック金メダルを獲得。2001年ベルリンマラソンで女性で初めて2時間20分の壁を破り、世界新記録(当時)で優勝。

マラソン世界記録は1回更新、マラソン日本記録は3回更新している。現在もオリンピック女子マラソン、アジア大会女子マラソン、名古屋国際女子マラソンの大会記録を保持している。


<エピソード>

現役時代はピッチ走法のお手本と言える選手で、頭がほとんど上下にぶれず、リズミカルに足が出る走り方が特徴的であった。

シドニーオリンピック前に、アメリカ・ボルダーで超高地3500m地点でのトレーニングを行なった。標高3500m地点でのトレーニングは危険ではないかと一部専門家などの指摘もあったが、高橋と監督の小出は自分たちの信念でトレーニングを敢行した。

2000年7月の札幌国際ハーフマラソンにシドニーオリンピックの調整レースとして出場。小出は調整段階での出場に難色を示していたが、高橋がどうしても出場したいと直訴したため、急遽アメリカ・ボルダーから帰国して参加。当時のハーフマラソン世界記録保持者(1時間6分44秒)エレナ・マイヤー南アフリカ共和国)を破り優勝。金メダル獲得へとつなげた。

2001年2月、Qちゃんフィーバーは収まらずイベント・表彰などが続き練習不足のなか、また女性誌などによるいわれのない中傷記事(太りすぎでもう走れないなど)も続くなか、青梅マラソンに出場。30kmレースの日本最高記録(当時)を更新して優勝した。

高橋は2001年秋のベルリンマラソンで世界記録を出したが、その次の週のシカゴマラソンにも出場することを決意していたという。しかし、2週連続フルマラソン出場という挑戦プランを聴いた日本陸連が、出場にストップをかけた。

2002年に出演したNHKの『トップランナー』で、自身のベストレースとして1998年バンコク・アジア大会のレースを挙げた。

2000年9月24日シドニーオリンピック女子マラソン中継は日本時間、早朝6時45分スタートで9時過ぎにはゴールとなったが、テレビ視聴率は平均視聴率40.6%、瞬間最高視聴率59.5%を記録した。この視聴率は女子マラソン史上最高視聴率となっている。また2001年9月30日ベルリンマラソン中継は日本時間、夕方4時スタートで6時20分にはゴールとなったが、テレビ視聴率は平均視聴率36.4%、瞬間最高視聴率53.5%を記録した。この視聴率はオリンピック中継以外では女子マラソン史上最高視聴率となっている。女子マラソン中継全体ではシドニーオリンピック、1996年アトランタオリンピックに次ぐ高視聴率となっている。(数字はいずれもビデオリサーチ調べ 関東地区)。

2000年プロ野球、巨人長嶋茂雄監督・ダイエー(当時)王貞治監督が激突したON対決の日本シリーズ開幕第一戦の東京ドームで始球式をつとめた。
出身高校である県立岐阜商業高校の同級生にはプロ野球選手和田一浩中日)がいる。ただ、高橋と和田は高校時代は互いに面識こそあったものの会話したことは一度もなかったという。同高では高橋と和田一浩、さらに同高の先輩に当たる高木守道の3人をまとめて“ビッグ3”と呼ばれている。2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われ、このイベントは大盛況のうちに終った。“ビッグ3”と言われながらもこの3人が顔を合わすことは滅多になく、3人のトークをするシーンが斬新だったと言う人が多かった。